2023年1月21日 | 学びの事
休みの日や時間があればココスに来てしまう私でございます。この休みも午前中寝込み、長女の自転車2台ともパンクしており治しに行かなければと、車につみこみ、80くらいのおじいちゃんのやる自転車屋さんに持って行き『じかんかかるでえ』といわれ『大丈夫!2時間後くらいにとりにきます〜』と、言ってココスに
末っ子はマルゲリータピザが大好き、次女はつつみ焼きハンバーグが大好き、キッズドリンクバーもクーポンで、私のドリンクバーもクラブオフサービスに入っているため108円やすーー!
ココスはドリンクバーも種類がたくさんあるのと、スープバーがあり、私は牛骨のスープとトマトスープがある時が大好き♡
ご飯を食べ終わったら、ポピーのワークをやったり、iPadでトド英語をやったり、ワンダーボックスしたり、Wi-Fiもとんでおり、コンセントもある、すばらしすぎるココスさま。わたくしは、市内にある2店舗のココスを行ったり来たりしておりますが、多分どちらの店舗も店員さんに『またきた』と、思われていることは間違いない。
本日のお会計も1300円くらいでした(笑)ココスアプリで5%オフの年パスもゲットしてしまい、もうどんだけ、くるのでしょうか。
本当に良いところココス

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2023年1月18日 | 学びの事
■クーポンコード入力の期限:4月7日(金)~4月23日(日)】12ヶ月プラン(2人まで利用可)が通常価格の、16,800円から、43%オフにて【9,576円】になります。
コードはこちら【KW43】
末っ子くんに3ヶ月前くらいから、おなじAERA with kidsのアンバサダーをしていた方のInstagramからトド英語のことを知り、私もトド英語、トドさんすうとやり始めてみました。
毎日ひらくとやるページが出てきてこのカリキュラムをこなしています。自由に動画やほかのカリキュラムを選んですることも可能です。
英語を書いてみたり
リピートして話してみたり
クリアするとかなりご満悦!
LINEでも学習し始めたことをお知らせしてくれたり、何分やったかも教えてくださいます。動画コンテンツも沢山あり、正直DVDを見せたりする時代はもう終わったー!とかなりかんじました。コンテンツもかなり沢山あり、飽きずに楽しんで、トドさんすうと、英語を楽しんでやってくれています
星が何個溜まったーとか算数の方も嬉しそうにしたり、トド英語のおかげて、たこはオクトパス〜とかなんか普段から英語の単語も教えてくれたりします😊
トド英語を修了すると
アメリカ共通教科過程基準で(幼稚園~小学校2年生)
レベルの英語をマスターできるとのこと、
長女が今中学生で英語にかなりつまづいており、小さい頃、英会話教室には2年ほどいっていて耳はよくリスリングとかは良くて、小学生の時の英語の成績は良かったのですが、書くこととかにはなれていないため、アルファベットや単語を書くことにも小さなうちから慣れさせておくべきだったし、あのまま続けておくべきだったかなあとおもいましたが、なんせdvdやCDを聞かせる宿題が毎週出され、それをやらせるのが仕事している私には、もう無理ーー!!と、なってしまい、退会してしまいました…。
アプリってなんで便利なのでしょうと、末っ子にも今から慣れ親しんでくれるとなあと思っています。
12ヶ月プラン(2人まで利用可)が通常価格の、16,800円から、43%オフにて【9,576円】になります。
■コード入力の方法:アプリ内の【「Parents」>>「料金プラン」>>「コードを使う」】にて入力することで、上記の割引が適用されます。
クーポンコード【KW43】
以上の内容に伴い、12ヶ月用のクーポンコードを使うことにより、コードの適用のない12ヶ月用のプランと比べると以下のように大幅にお得になります。
・【コード適用なし】:16,800円 ※月々1,400円、お一人のお子様あたり700円
・【割引用コード適用】:9,408円(44%OFF)※月々約784円、お一人のお子様あたり約392円
・シリコンバレー発の英語知育教材
・世界で話題だった「トドさんすう」の(英語版、または姉妹アプリ どちらの表記でもOKです!)
・子供が自ら進める英語教育アプリ
・親の見ない間に勝手に英語学習
・子供のやる気が続く英語アプリ
・子供が夢中になる英語アプリ
・勝手に更新されるような自動課金なし
・ダウンロードしてから15日間は無料で体験できます😌
@todoeigo
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@todoeigo
2023年1月17日 | 学びの事
末っ子そろばんを初めて、2ヶ月目に突入、未就学児で今のそろばん教室に通ってるのは、うちのこだけのため、小学生や人数少ない5時くらいに末っ子を連れて行き、おじいちゃん先生にマンツーマンで教えていただいている様子。
正直できるのかなあ、と思っていたのですが、鉛筆の持ち方から弾き方までしっかり教えていただき、家でやらしてみたら+−のまざったもんだいもちゃんとはじけておりました。週3回1時間あるのでそれが良いのだなあと、これが週1回とかだったら末っ子くん定着、家でもやらないとできなかったと思うのですが、家で今のところ宿題とかもなくても、コツコツとワークをこなしていっております。
先生はおじいちゃん、おばあちゃん先生なのですが、聞いてみたところ、級を取れるようになるのはやはり小学生入ってくらいからみたいがふつうみたいですが、いつか級が取れるようになったらいいなあと、頭にそろばんがはいるようになったりフラッシュ暗算とかできるようになったらいいなあって、思うのですが、いつになるやら。
ピアノ男子への道は諦めてしまいましたが、いつかまたチャンスがあれば(涙)
写真は今年に入り全く撮っておらずで、撮る気が湧いてきたら撮りたいと思います。こんなに撮る気ないのはじめてくらいです。Instagramもやめるくらいの雰囲気になってきましたが、Instagramみないと2時間くらいは時間を削減できます。

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2023年1月10日 | 日々の事
本日も朝起きれず、始業式のため長男のデイサービスのお弁当がいるため、起きて体調悪いと思いながらも、本当に雑なお弁当を作りなんとか子供たちを送り出す、歯を磨きながらオェオェ言って、末っ子は寝ていて、ちょっと横に布団に入ってしまったら、そのまま寝てしまい結局上の子たちが帰宅してからもずっと布団から出れず夕方まで布団にうずくまり、末っ子も保育園に送っていけず終わってしまった。何をしているのだろうか。やっとお風呂にはいり、夜は長女がシチューを作りたいといったので作っていただきましたが、まったく食欲もなく自分は食べず。洗濯物だけ仕上げて、みんな寝る状態にして旦那さんが帰宅するとのことだったので、次の日に食べるパンもないためパンを買いに来て、パソコンを持って一人またココスに来るのでした。Wi-Fi、コンセント本当に助かります。角野隼人さんのユーチューブを聴きながらブログを書いておりますが この無気力は何でしょうか。明日の朝も起きて末っ子を保育園に連れていくことはできるのだろうか、ちゃんと寝るのは夜寝てるんです。一人の時間が欲しいのか、家を離れたいのか、いま自分が自分のことがよくわかっていない。冬休みや、夏休みに入るといつも憔悴しきってしまい毎度こうなってしまう。ココスはココアもあって本当にいい。明日一人カラオケ行こかな。
紅白でシンデレラボーイなる曲をたまたま聴いて歌詞がなんとも切ないなと思ってPVみたら魚喃キリコの漫画みたいで痛々しかった。
2022年12月29日 | 日々の事
先日父が他界して22年が経ちました。父が他界したのは、私が20歳の時、父が56歳の時でした。
私は4人兄弟の末っ子として、1人だけ遅がけに生まれました。父は戦時中満州で生まれ、祖父の事業で横浜にすみお坊ちゃんで、祖母は満州から帰国の際に他界してしまい何人もの継母さんと祖父に育てられ、羽田空港で働いている時に母と出会い結婚しました。
東京に住んでおり、そのご祖父の郷土である三重に来た時は仕事を1から始め上の兄姉3人の時はお金がなく夜も現場に行き、兄姉たちが歩いた時や、初めて話した時も家にいたことはなかったそうです。
父にとっては遅がけの4番目の私が生まれた時、やっと仕事も軌道に乗り始めてきたため、父は初めて我が子が歩く姿などをみたのはわたしのときだけだったようで、とても可愛がってくれ私も市内の私立の幼稚園に入れていただいたり、たくさんの習い事をさせていただきましたが、残念なことに蛙の子は蛙でして、上3人はビーバップ世代のためグレまくっており、母は兄のボンタン(改造学ラン)をはさみできりきざんだり、バイクのマフラーにぬのをつめこみ、学校から呼び出しあれば父が出ていき、と、しておりましたが、父は決して兄たちや姉を見捨てることなく、みかんの箱を持っては学校に謝りに気て、家に帰れば灰皿(ガラス製)を投げて怒っておりました。
そんな姿を見て育ていたためか、法に触れるようなことや、悪いことはしないでおこうと育ってきた私ですが、頭は相当悪く、4年生の時学級崩壊新任の先生が来たことでして、私もすっかりそこで勉強しない人生を送ることになってしまい、中学生の時もかなりの成績の悪さ、しかし父は私を責めることもない中、父は糖尿病、B型肝炎なども患っており私の小さい頃には病院にはたびたびお世話にはなっていましたが私が中学2年生の時に肝臓癌になり予命宣告されました。
そこからの父は、入退院の繰り返しで、退院しては、仕事をし、入院中も営業をし、病院の食堂で打ち合わせをしたり、脱走して館内放送で呼ばれたりなど、その間兄たちも中卒でしたが仕事を手伝い職人として実家を手伝っていました。
余命宣告され5年でその間色々な病院を点々としておりましたが父は余命宣告越してからも生き続けました。自分が癌であることも今と違い当時はあまり表に出す時代ではありませんでしたが、父は自分が癌であることを普通に話していました。その中で、誰かに少しでも自分も頑張ろうと思ってくれたら、それが今の自分に与えられた使命なのだと、夜中一緒にNHKのドキュメンタリーを見ていたときにそっと言っていました。
私が短大の頃、父はだいぶと弱ってきてはいました、父は自分で遺影の写真を写真館に撮影しに行き、兄に営業の仕方を一緒に連れて歩きみせ、土地のことや、残された会社のことなどすべて準備していました、そして常にアンテナの高い人で、携帯電話や、パソコン、ワープロ、ビデオカメラをかったり、インテリアの免許を取ったり、手帳を毎日書いたりとマメな人でした。他界する1年前にも船舶の免許を取ろうとしており『もうすぐ、死ぬのに免許なんてとってどーすんの?』と、今思えば鬼のような娘だと自分で思うのですが、言ってしまいましたが、父は『そやな』と言いながらも『なんでも死ぬまで挑戦することは大事や、やで死ぬまでタバコもすう』と、
他界した年の7.8ヶ月前に家族全員を病院に呼び先生からの話を聞いてほしいと言われ聞くと、いよいよ父の病状は手のほどこしようのないところまできているとのことで、父は自分の身内は皆癌で60前後で死んできて、延命治療を見たりしていたため、治療はもう今後しないと、在宅での治療を希望し、自宅で過ごすことになりました。私は短大を卒業したものの栄養士の免許に必要な単位を1教科落としてしまったため、科目等履修生として半年単位を取るためにバイトでもしながら、学校へ行こうと思ったのですが、父は絶対に就職しなければ家を出て行けと、中途採用で学校がある日が定休日だったため今もお世話になっている会社に入りました。
父は自宅で毎朝母のつくる、青じそやらなんやら、果物の入ったクソまずい今思えばお手製スムージーを飲んで仕事も電話で、営業の電話をしていましたが、秋頃にはもう腹水が溜まり、お腹は妊婦のようになっていました。父と携帯電話の契約を見直しに行き他界しても大丈夫なように、私の運転で行きましたが歩くのもやっとな感じでした。冬にさしかかると父は、かなりつらそうになってもう死んだほうがマシだともらしたり、もう桜を見ることはないだろうと言いました。
しかしタバコはやめない父。死ぬ数日前に病院に腹水を少し抜きに行くと言って母が連れて行こうとしていた時、玄関で父がスコーンと座り込むように倒れてしまい母のびっくりする声がしたためたまたま休みだった私は病院についていきました。この日が他界した日よりも何よりも1番自分にとって辛い日でした、運転して病院につくと母が車椅子を車まで持ってきているのを、車からボーっと見ながら父が『みてみ、あのひと、やること雑やで俺が死んだ後もあーやってしとるんやろな』とポソっと言いながら、私は父を車椅子に乗せ、母は車で待ち
私が先生の元まで連れて行きずっと一緒にいましたが、いつもの病院に入って行く時、車椅子に乗る父の姿が、私もたくさんの死ぬ間際の親族を見てきているのでどう見ても、もう長くないとことと、父が『まさか自分がこんな風になるとはな』と言った時、私を怒りちらし廊下を追いかけてくる父や、思いっきり平手打ちでぶん殴ってきたあの父が、こんな姿になってしまったことに泣きながら病院の廊下を車椅子で押して歩きました
2階の治療室から4つのエレベータがあり何個もエレベーターが止まるのですが、上から降りてきてるから人がたくさん乗っており乗れなくて、次は乗れると思い前に行っても乗れなくて、その間父は辛そうで、早く乗らせて家に連れて帰りたくて、それが1番なんかつらかった。
それから数日後に父はタバコ吸おうとポロッとおとして、吐血し救急車を呼んで、その間、兄たちが『おやじーーー!!』とさけぶなか、声をしぼりだし『う・るさい…』といったり、『姉をたのむ』と、救急隊の人が来た時『足元きをつけて…』と言ったのが、私が聞き取れた最後でした、救急車を呼んだものの、治療されてる父をみて、『もういいです、もういいです』とわたしは言ってしまい、主治医の先生が来た時に、手術してもういど喋ることくらいはできるかもですが…と話があった時、わたしは『もう、やめてあげてほしい』といいましたが、やはりそばで見ていなかった姉や兄たちはもう1度父と少しでも喋れるならと、『頼む』といわれ手術しましたが、その日の夕方父は、スッと息をひきとりました。
父はどんな時も『自分自身に負けてはならない』と、いつも言っていました。私が苦難の時、姉に言われたは『父の良いところも悪いところもすべて私たち4人は受け継いでいる、私たちは父の子なのだから乗り越えられないことなんてないんや』と、言われてきましたが、今の自分は父の子として自分の子供たちを守れているのか、父が生きてたらなんて言われるのかと、おもうと、全く自分は、父に顔向けできないなと改めて今思うのでした。
久しぶりに父のことを思い返しかなり長い文になってしまいましたが、私の記憶のきろくとしてのこしておきます。

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