2023年1月10日 | 日々の事
本日も朝起きれず、始業式のため長男のデイサービスのお弁当がいるため、起きて体調悪いと思いながらも、本当に雑なお弁当を作りなんとか子供たちを送り出す、歯を磨きながらオェオェ言って、末っ子は寝ていて、ちょっと横に布団に入ってしまったら、そのまま寝てしまい結局上の子たちが帰宅してからもずっと布団から出れず夕方まで布団にうずくまり、末っ子も保育園に送っていけず終わってしまった。何をしているのだろうか。やっとお風呂にはいり、夜は長女がシチューを作りたいといったので作っていただきましたが、まったく食欲もなく自分は食べず。洗濯物だけ仕上げて、みんな寝る状態にして旦那さんが帰宅するとのことだったので、次の日に食べるパンもないためパンを買いに来て、パソコンを持って一人またココスに来るのでした。Wi-Fi、コンセント本当に助かります。角野隼人さんのユーチューブを聴きながらブログを書いておりますが この無気力は何でしょうか。明日の朝も起きて末っ子を保育園に連れていくことはできるのだろうか、ちゃんと寝るのは夜寝てるんです。一人の時間が欲しいのか、家を離れたいのか、いま自分が自分のことがよくわかっていない。冬休みや、夏休みに入るといつも憔悴しきってしまい毎度こうなってしまう。ココスはココアもあって本当にいい。明日一人カラオケ行こかな。
紅白でシンデレラボーイなる曲をたまたま聴いて歌詞がなんとも切ないなと思ってPVみたら魚喃キリコの漫画みたいで痛々しかった。
2022年12月29日 | 日々の事
先日父が他界して22年が経ちました。父が他界したのは、私が20歳の時、父が56歳の時でした。
私は4人兄弟の末っ子として、1人だけ遅がけに生まれました。父は戦時中満州で生まれ、祖父の事業で横浜にすみお坊ちゃんで、祖母は満州から帰国の際に他界してしまい何人もの継母さんと祖父に育てられ、羽田空港で働いている時に母と出会い結婚しました。
東京に住んでおり、そのご祖父の郷土である三重に来た時は仕事を1から始め上の兄姉3人の時はお金がなく夜も現場に行き、兄姉たちが歩いた時や、初めて話した時も家にいたことはなかったそうです。
父にとっては遅がけの4番目の私が生まれた時、やっと仕事も軌道に乗り始めてきたため、父は初めて我が子が歩く姿などをみたのはわたしのときだけだったようで、とても可愛がってくれ私も市内の私立の幼稚園に入れていただいたり、たくさんの習い事をさせていただきましたが、残念なことに蛙の子は蛙でして、上3人はビーバップ世代のためグレまくっており、母は兄のボンタン(改造学ラン)をはさみできりきざんだり、バイクのマフラーにぬのをつめこみ、学校から呼び出しあれば父が出ていき、と、しておりましたが、父は決して兄たちや姉を見捨てることなく、みかんの箱を持っては学校に謝りに気て、家に帰れば灰皿(ガラス製)を投げて怒っておりました。
そんな姿を見て育ていたためか、法に触れるようなことや、悪いことはしないでおこうと育ってきた私ですが、頭は相当悪く、4年生の時学級崩壊新任の先生が来たことでして、私もすっかりそこで勉強しない人生を送ることになってしまい、中学生の時もかなりの成績の悪さ、しかし父は私を責めることもない中、父は糖尿病、B型肝炎なども患っており私の小さい頃には病院にはたびたびお世話にはなっていましたが私が中学2年生の時に肝臓癌になり予命宣告されました。
そこからの父は、入退院の繰り返しで、退院しては、仕事をし、入院中も営業をし、病院の食堂で打ち合わせをしたり、脱走して館内放送で呼ばれたりなど、その間兄たちも中卒でしたが仕事を手伝い職人として実家を手伝っていました。
余命宣告され5年でその間色々な病院を点々としておりましたが父は余命宣告越してからも生き続けました。自分が癌であることも今と違い当時はあまり表に出す時代ではありませんでしたが、父は自分が癌であることを普通に話していました。その中で、誰かに少しでも自分も頑張ろうと思ってくれたら、それが今の自分に与えられた使命なのだと、夜中一緒にNHKのドキュメンタリーを見ていたときにそっと言っていました。
私が短大の頃、父はだいぶと弱ってきてはいました、父は自分で遺影の写真を写真館に撮影しに行き、兄に営業の仕方を一緒に連れて歩きみせ、土地のことや、残された会社のことなどすべて準備していました、そして常にアンテナの高い人で、携帯電話や、パソコン、ワープロ、ビデオカメラをかったり、インテリアの免許を取ったり、手帳を毎日書いたりとマメな人でした。他界する1年前にも船舶の免許を取ろうとしており『もうすぐ、死ぬのに免許なんてとってどーすんの?』と、今思えば鬼のような娘だと自分で思うのですが、言ってしまいましたが、父は『そやな』と言いながらも『なんでも死ぬまで挑戦することは大事や、やで死ぬまでタバコもすう』と、
他界した年の7.8ヶ月前に家族全員を病院に呼び先生からの話を聞いてほしいと言われ聞くと、いよいよ父の病状は手のほどこしようのないところまできているとのことで、父は自分の身内は皆癌で60前後で死んできて、延命治療を見たりしていたため、治療はもう今後しないと、在宅での治療を希望し、自宅で過ごすことになりました。私は短大を卒業したものの栄養士の免許に必要な単位を1教科落としてしまったため、科目等履修生として半年単位を取るためにバイトでもしながら、学校へ行こうと思ったのですが、父は絶対に就職しなければ家を出て行けと、中途採用で学校がある日が定休日だったため今もお世話になっている会社に入りました。
父は自宅で毎朝母のつくる、青じそやらなんやら、果物の入ったクソまずい今思えばお手製スムージーを飲んで仕事も電話で、営業の電話をしていましたが、秋頃にはもう腹水が溜まり、お腹は妊婦のようになっていました。父と携帯電話の契約を見直しに行き他界しても大丈夫なように、私の運転で行きましたが歩くのもやっとな感じでした。冬にさしかかると父は、かなりつらそうになってもう死んだほうがマシだともらしたり、もう桜を見ることはないだろうと言いました。
しかしタバコはやめない父。死ぬ数日前に病院に腹水を少し抜きに行くと言って母が連れて行こうとしていた時、玄関で父がスコーンと座り込むように倒れてしまい母のびっくりする声がしたためたまたま休みだった私は病院についていきました。この日が他界した日よりも何よりも1番自分にとって辛い日でした、運転して病院につくと母が車椅子を車まで持ってきているのを、車からボーっと見ながら父が『みてみ、あのひと、やること雑やで俺が死んだ後もあーやってしとるんやろな』とポソっと言いながら、私は父を車椅子に乗せ、母は車で待ち
私が先生の元まで連れて行きずっと一緒にいましたが、いつもの病院に入って行く時、車椅子に乗る父の姿が、私もたくさんの死ぬ間際の親族を見てきているのでどう見ても、もう長くないとことと、父が『まさか自分がこんな風になるとはな』と言った時、私を怒りちらし廊下を追いかけてくる父や、思いっきり平手打ちでぶん殴ってきたあの父が、こんな姿になってしまったことに泣きながら病院の廊下を車椅子で押して歩きました
2階の治療室から4つのエレベータがあり何個もエレベーターが止まるのですが、上から降りてきてるから人がたくさん乗っており乗れなくて、次は乗れると思い前に行っても乗れなくて、その間父は辛そうで、早く乗らせて家に連れて帰りたくて、それが1番なんかつらかった。
それから数日後に父はタバコ吸おうとポロッとおとして、吐血し救急車を呼んで、その間、兄たちが『おやじーーー!!』とさけぶなか、声をしぼりだし『う・るさい…』といったり、『姉をたのむ』と、救急隊の人が来た時『足元きをつけて…』と言ったのが、私が聞き取れた最後でした、救急車を呼んだものの、治療されてる父をみて、『もういいです、もういいです』とわたしは言ってしまい、主治医の先生が来た時に、手術してもういど喋ることくらいはできるかもですが…と話があった時、わたしは『もう、やめてあげてほしい』といいましたが、やはりそばで見ていなかった姉や兄たちはもう1度父と少しでも喋れるならと、『頼む』といわれ手術しましたが、その日の夕方父は、スッと息をひきとりました。
父はどんな時も『自分自身に負けてはならない』と、いつも言っていました。私が苦難の時、姉に言われたは『父の良いところも悪いところもすべて私たち4人は受け継いでいる、私たちは父の子なのだから乗り越えられないことなんてないんや』と、言われてきましたが、今の自分は父の子として自分の子供たちを守れているのか、父が生きてたらなんて言われるのかと、おもうと、全く自分は、父に顔向けできないなと改めて今思うのでした。
久しぶりに父のことを思い返しかなり長い文になってしまいましたが、私の記憶のきろくとしてのこしておきます。

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2022年12月28日 | 日々の事
さて、高い教材を買った時も、周りの人が言っていたのに全く聞かずに購入してしまった今年の初めでしたが、そろばんを始めたり、周りは小学生になってからでも良いんじゃない?とか、言ってましたし、
兄さんの塾も1.2月だけだったとしても、やはり迎えに行くの大変なんじゃない?って言われたり、行かせたのに出来なくて大変な思いして行かせてるのにってまたイライラしてしまいそうな自分もいたり、淡くもしかしたら先生もわざわざ開講していない時間に空けてくれてマンツーマンでやってくれるから少しでも中学入るまでになんとか末っ子レベルくらいになってくれたら…と思ってしまったり、もう脳内がわけわからず、友人に止めても止まらないと言われ、ダンスやめたら少し他のことできるかもとか、小学生になったら自分で行ってくれるからとか、1.2月だけだからとか、そういうのがあったりで、できるかも!とおもってしまうのが私のダメなところ…
そしていざやるとなり、できるのかと不安になったり、いざ始めたら多忙すぎて疲れ切ってしまったり、目に見えてることなのに、止められない。
そんなこんなでクリスマスやら、もう年末とかになるしで、私の心もなんかせわしくなり、Instagramとか見る元気がない。写真を撮る余裕もない。ご飯作る元気もないと、無気力だったり、ハードなスケジュールを、全てこなしてやるは!!と一日中走り回ったりと、もう自分のテンションの上がり下がりにもついていけません。
年賀状も買ってもない…もう作る気力も今はない。寒中見舞いをだせたらだしたいとおもっておりますが、ほんとうにごめんなさい。年賀状見るのはとても好きなんですが、間に合いそうにない
午前中、長男、次女冬季講習送り迎え、夜長女冬季講習送り迎え。私はタクシーでしょうか。送って行ったあと図書館でも行ったりなんだりかんだりしようかな
昨日は仕事納めで、疲れて帰宅して、ラミーとコーヒー飲んだら最高に美味しかった。至福の時間
夜薬を飲んで寝たのに3回も起きたこれまた寝た気がしないなんだかなあ


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2022年12月19日 | 学びの事, 日々の事
朝起きれず、末っ子を保育園に送っていくことができず、自分で起きてきて自分でパンにマーガリンとグラニュー糖を塗ってトーストして食べていた末っ子君、起きてきて謝り、歯を磨いてやることにいたしました。最近朝起きれない、早く寝ようが何をしようが布団から出れない、仕事に行く日も、かなりギリギリで、だんだん仕事に行くことすら不安になってくるのでありました。
歯を磨いた後に何故かブリッジ
そのあとは遊びタイム、ロンビーで二人で遊びました。末っ子をは赤とオレンジのロンビーを入れ物に入れ、パスタに見立てて湯がいてくださいました(笑)
お次はポピーでシール貼り、今月のポピーのわあくんについていた、京のかえる大阪のかえる?みたいな話が読んでみたらすごく面白くて、読んだ後に私が大笑いしてしまいました。あれ絵本にして出版してもよいと思うくらい面白い話だった。ポピーは良心的な値段でドリルや体験教材もついていたり読み物も入っていたりで未就学児は本当に良い教材だと思います。
そのあとは二人でパスタを湯がいて、特別にコーラを飲むことに、末っ子はパスタを鍋に入れてくれたりグラスを運んでくれたりしたのですが、グラスをこかして、パスタソースがついたので布巾で拭いてくださいました。
おいしい~とおかわりもして、良い一日を過ごせました。本当はピアノと公園にも行きたかったけど、この後一緒にレゴしたら眠くなってきて寝てしまい、そこからあっという間の、末っ子をそろばんに送り、長男、次女を塾に送り、またそろばん迎えに行って、それから長女を塾に送り、また塾に迎えに行くというよていでありまして、旦那さんは仕事休みで出かけていて帰宅したので安定のココスで今一人カフェをして時間をつぶしているのでありました。

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2022年11月30日 | 日々の事
12月1日の23時59分まで開催のブラックフライデー今回もいろいろと買ってしまいました
・マテル社のジュラシックシリーズがかなりのお値打ちになっており、末っ子がもうクリスマスプレゼントでいいから買ってほしいとのことでgetしてしまいました。本当に安いのでクリスマス プレゼントの購入してクリスマスにプレゼントしてもよいのではないでしょうか
・新しいパソコンを購入してSD入れる端子がなかったのでSDのÇタイプカードリーダー 10年位前のカードリーダー使ってみたら全く反応しませんでした(笑)
・ラグ3畳 ホットカーペットがフローリングタイプを使っていたのですが、子供たちが段ボールとかで工作するときにカッターで切ってしまい穴が開いていたため、それを隠すためにラグを購入
・マットレス隙間カバー西川airをシングル引っ付けて寝ていたのですが、隙間が空いていつも真ん中に追いやられるとストレスだったためこちらを購入したのですがとっても良いのですが西川airが厚みが10センチしかないためマットレスの横にバンドをしていても外れてきてしまいそれだけ失敗しました、なのでバンドをマットレスの横にするものなのですがマットレスの上から2つをくっつけて止めて使用してみましたが、なかなかよい。バンドだけ追加購入して枕元もバンドで縛るか考え中。ベットくっつけて寝ている方とかはお勧めいたします。
・ブラウンの電動歯ブラシの相互品のスペアたち、今までいろいろと試してきたのですが今回のが一番しっかりしていたのとキャップがプラスチックのキャップがついているのが良い。大人用と子供用と同時に購入いたしました。
ほかにも文房具とかたわいもないものをたくさん買ってしまったのですが、やはりマテル社のジュラシックワールドシリーズの安さがかなり素晴らしいので是非お安く購入したい人にはお勧め!
新しいパソコンにいまだになれないのと、キーポジションが違ったりするのがストレスですがサクサク動くことは本当に素晴らしい。
と、いうどうでもいい私のお買い物記録でありました。

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2022年11月16日 | 日々の事
先日は朝から盛大な遅刻して保育園に末っ子を送り、往復1時間かけて長男の薬をとりに行きまして、その後、吉〇さん宅で少しお茶を飲んでピアノを聴かしていただき、プリンターの話をしているときに、吉〇さんのプリントした写真を見返していて、やっぱりいいなーと吉〇さんの写真で好きなのをチョイスして、吉〇さんはチョイスした写真を冷蔵庫に飾りなおしてくれていました。帰宅して少しゆっくりしようと思ったのですが、本当にPCがクソ遅くて買いなおそうと最近色々と見ているのですが、PCで色々見ていたら時間がきて末っ子を迎えに行き次女帰宅、その後中学校の支援級の先生と小学校の支援級の先生との3人で懇談を中学校に行きました。
子供たちの通う学校は公立なのですが小中一貫のため小学校と中学校の連携がこのように取れることは、とてもありがたいことなのですが、中学校で他校からも生徒が集まらずエスカレーター式のため新しい風が吹かないというか、あまり中学生になった緊張感を味わえなかったり、環境が少し変わる変化がないというのもデメリットな気がします。私自身卒業生ですが、小中でみんな友達同士みたいな感じで中学校生活をおくり、高校に行って10クラスくらいある学校に行き、正直環境の変化になじめず入学早々今思えば、精神的にかなりやられて、本当に仲の良い友達ができるまで結構高校生活がしんどかったです(その時出来た友達は今でも仲の良い仕事も一緒のきくちゃん)
そんな話はさておき、今の学校生活での事を小学校の支援級の先生から話してもらい、私の方は家でのことや、投薬している薬や、何が苦手なのかなどの話などをさせていただき、中学校では普通の成績をつけるためには住んでいる市では、週に9時間普通学級と同じ内容をその教える先生のもとで指導を受けなければ成績がみんなと同じようにはつけれないため、先生の支援級に来て下さる人数の調整や加減などによっては、やはり普通の成績がつけれない可能性もあるという事と、仮に成績がみんなと同じようにつけれない教科がある場合は、高校入試の際に高校に、支援級の先生、もしくは校長先生などが事情を先方の高校に話に行ったうえで受験するという形になるそうです。
あとは本人が支援級で勉強した方が安心するのか、みんなと一緒にやりたい気持ちがあるのに支援級に来てもあまり勉強に関しては伸びないのでそのあたりも長男と、話し合う必要があるというのと、いまの支援級の先生は、長男がずっと通っている心身病院の入院している子供達が行く学校の専門の先生をしていた経験のある方のため、心身の先生の事もご存じだったり薬の事もよくわかっていたりなので、よくみてくださっているのですが、『多分普通学級でもやっていく力はあると思うけど、やっぱり本人が自身がなさそうな面や、気持ちをうまく伝えることが出来ない面もありますので、とりあえず支援級で本人が落ち着くならばやってみて、充分2年生からみんなと同じように勉強したいとなれば、9月ごろまでに言えば2年生から普通学級に行くことも可能だし、修学旅行でも友達たちと一緒に普通にいましたよ』と言われ、そうなのかな~と思いながらも、自宅に帰り『中学校、みんなと一緒に勉強したい?それとも今みたいに取り出してもらい勉強するほうがよい?』と聞いてみたのですが、本人的には今と同じように支援級をご希望のようでした。ちなみにどうやら中学校のクラブ見学なるものがあるらしくそれをこのタイミングで『お母さん、中学校のパソコン芸術部に行ってくるよ』と言われ、おいおいそれはほとんど帰宅部ですよと思いながらも足が速いのでてっきり陸上とかするのかと思っていたのですが淡い期待だった…まあ好きな事したらいいは。まったくモテル要素無くなったなと、ちょっと心で思ったり。まあさ、なんか得意な事を伸ばせれば!!と思うのですが、はっきり申しますと、全く長男の得意な事がわからない…どうなるのかわからない中学への道ですが、発達検査をやったのが4年前のため、中学校入学前に一度やったほうが良いと思うと先生からも言われたので、次の受診の際に申し込みしようと思うのでありました。
次は、末っ子の就学前検診とかもあるし、今年は入学卒業が重なるという初めての事が起こりますが、その方が楽なのか大変なのかよくわかんらん。今月も病院に連れていく嵐。

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